僕の知識は羊頭狗肉なのか?
どうも、のらねこです。
今回は、ふと本を読んでいる中で思った事があります。僕は知識を使いこなせているのか?
この疑問に自分なりに考えていきたい。
まずタイトルにある羊頭狗肉という言葉について答えておきます。
羊頭狗肉とは、見かけと実質が伴わないことのたとえです。ことわざですね。
僕が行っている知識習得はこの羊頭狗肉になっているのではないかと思ったのです。
なぜなら、僕は知ることばかり気にしていたから。知識を使う場面を想像していなかったのです。
目的なき知識は偽物かも知れない。目的あっての知識です。僕はこんなことに気づいていなかた。
アウトプットしていなかったことも関係しているでしょう。インプットした情報をアウトプットしてこなかったことが、ここにきて身に染みますね。
見かけと実質が伴わない。まさに知識習得に言えることではないかと思いました。
この関係を断つためにはやはり、インプットとアウトプットをやっていく事が大事。
特にアウトプットを意識しないとインプットしただけで満足してしまう。これでは何のために知識を習得したのか分からない。
僕は何のために本を読むのか。考えたことがない。だからなかなか今でも目的を立てる事ができない。
いや、本当は、怖いからだ。実の所、僕は目標がないわけではない。ただ、恐怖で進めないのだ。
知識習得がインプットばかりの僕は、この恐怖に縛られているのではないだろうか。
ここまで、知識をアウトプットしてこなかった。アウトプット的な人生を送ってこなかった。
これは認めるしかない。僕が今までアウトプットしてきたことはどれくらいだろうか。
言葉にしろ、行動にしろ、僕は他人に影響を与えてきたのだろうか。ふと疑問に思ってしまう。
自分の人生が羊頭狗肉にならないように少しずつ前進していきたい。そのために今の自分にできるアウトプットをしていこうと思う。
この文章もアウトプットの一つだ。これを読んだ人がどう思うか分からないが、何かの参考になってくれたら幸いだ。
では!