内向的な僕が文章を書いてきて気づいたこと

どうも、のらねこです。

ここまでちょこちょこ書き続けてきました。

僕は、内向的な人間で、あまり喋ることが得意ではありません。それどこか、緊張してしまって、頭が真っ白になるレベルです。 そんな僕でも何か表現したいと思って、このブログを書いています。

書き続けてきて思ったことは、やはり頭の整理に役に立つことですね。自分はろくに喋ることがないので、なかなか頭の中にあることを外に出す機会がないんです。ここでは、文章として頭の中の情報を出していくことで、まずスッキリしますね。そして、文章を書くことのメリットは他にあります。それは、自分の考えの間違いに気づくこと。自分の考えを文字化することで目に見える形になります。それでまた新たな思考が生まれるわけです。新しい思考を生むスペースがない状態がインプット過剰になります。アウトプットして情報を出していく必要があるわけです。

まあ、一年前の僕もあまり文章を書いてこなかったわけですからあまり人のことは言えないですね。

アウトプットの重要性は最近本やネットの記事で見かけます。確かにインプット過剰の現代なのかもしれません。 しかし、アウトプットの場が増えてきたことも事実だと思います。現に、こうして、僕はブログを書いているわけです。 もちろん、文章を書くことがアウトプットの全てではありません。例えば、自転車に乗ることやダンスをするといった、体を動かすこともアウトプットのひとつですね。さらに美術館で絵画を見て何か思うことがあったら、それを絵に描いてみる。これもアウトプットになります。

アウトプットで文章が注目されるのは、手軽にできるからでしょうね。

インプットも読書をして得る。そして、得た情報を文章化する。このサイクルが一番しやすい。

ただし、文章を書くことが上手くなることは言うまでもありません。しかし、それだけですね。アウトプット先は文章だけではないはずです。

変な話、読書で得た感覚を絵で表現するとかでもいい。表現方法は決まっているわけではないでしょう。

ただ僕としては、これからも文章でやっていきたい。なぜかというと、手軽だからですね。色々な表現方法の中で文章が一番僕に合っていると感じます。

これを読んでいる方も、文章から始めて見ては?

文章を書いてると自分がわかる。さらに自分の考えに共感してくれる人もいるかもしれない。つまりアウトプットとは自分の存在を知らせる行為に他ならない。

自分の考えを知ってもらうためにはどうしてもアウトプットしなければならない。インプットばかりでは、他人から見たら何をしたいのか分からない。アウトプットで他人に分かってもらえる。

他人に理解されたい欲があるならば、自分は他人に対して、なんらかのアウトプットしているのかを考える必要が出てきますね。

さて、今回は文章を書いてきて気づいたことをつらつらと書いていきました。

ではまた!