方便ってなんだろう?そこから見えてくる僕の考え方
どうも、のらねこです。
最近とあるツイートを見て学んだことを書いていきます。
ちょくちょく間違っている可能性もあるので、参考までに見てね。
まずは方便の意味から。
方便とは?
方便ってなんか都合のいいイメージを僕は持っていた。でも、それが誤解だとこのツイートは教えてくれた。
僕はそのツイートを見て、方便とは「相手の願望の合わせた手段を講じること」と解釈しました。
相手の願望に合わせていくことは相手のことを理解する事が前提ですよね。例えば、相手がお腹いっぱいの時にどんどん食べてと料理を出す人って正直迷惑ですよね。
また、頑張れという言葉ばかり言ってくる人。この人たちも相手を見ていない可能性がありますね。
なぜなら、相手のことを思って言っているのであれば、言葉だけってことはないから。
行動もセットだと僕は思っています。だから、相手の願望を知る。相手人を深く知る機会が必要になってくるわけです。
方便の元々の意味って?
方便の元々の意味は、真理に近づけること。真理っていうのは、法則のこと。ルールのことだね。
また、方便にはもう一つの意味があって、相手の機根に合わせること。機根っていうのは、仏教を信じて実践する能力。さらに機根を一文字ずつ分けてみる。機の意味は、働き。根の意味は、人の根底にある性質・性格。このような意味がある。
なるほどなあと思いました。人間の根底になる性質って難しそうです。つまり、生まれ持った器みたいな感じ?いや、余計分からないか。
方便を嘘のことだと勝手に思っていた僕としては今回のことは学びの連続だった
方便はもっといい意味なんですね。相手の機根や願望に合わせて手段を提示する。
これって、教育において必要ですよね。
今の学校教育がまさにそうじゃないかと。なんだか一方通行みたいな感じです。これだけやってれば大丈夫だからと一方的に教材を渡してくる。宿題なんかそんな感じです。
僕自身もできていたかどうかは正直微妙なところですけどね。ただ、こうやって自分の考えを引っ張り出す事ができたことは収穫になります。
相手もハッピー自分もハッピー
とても難しいことだけど、相手も自分もハッピーになれる道を探すことが結構大事な気がする。
しかし、実戦となると、なかなか思いつかない。日頃から、訓練してないと思い付かないですよね。
例えば、お笑いが好きな人と嫌いな人。
どちらも納得する道とは何かを考えるといいかも。実際に考えてもらうと分かると思うけど、パッと出てこないですよね?僕自身もまだまだ訓練中のため出てきません。
結構強引になるかもしれないけど、お笑いが好きな人って連帯感とか共感とかが必要になってくると思うんですよね。お笑いが嫌いな人は、それとは反対かな?共感したくない人?連帯感よりは一人でいる方が好きな人。孤独を愛している人かな。
う〜ん。なんだろう?インターネットの動画配信でお笑いを流すみたいな?もうやってるかな?これなら、お笑いが嫌いな人も好きになるかも?まとまらない感じですけど、今の僕だとこれぐらいしか思い付かない。
ちょっと疲れてきたので、ここで終わりますね。
良ければ感想などもよろしくお願いします。
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ありがとうございました。