【アンチ整理術 森博嗣】 引用と自分の考えをつらつら書いてみた

どうも。のらねこです。

今回は『アンチ整理術』から僕が気になったところを引用します。

その引用に対して、僕の考えも書いていきます。

では早速いってみましょう。

 

発想というのは、人間の頭の中に格納されたものが、図書館のように順番に並んでいないことを連想させる行為である。(中略)

いわば、抽象化しているからこそ、そういったぼんやりとした関係性のようなものが見えてくることが多い。 

 

 自分メモ「一見すると、確かに発想は整理整頓したイメージがない。ぼんやりとした中で生まれるものが発想ということなのかな?」

    「僕にとっての発想とはなんだろう?確かに最初ぼんやりしている。初めからはっきりした形であることはない。そして消えやすい。浮かんでは消えるのが早いような気がする。」

 

僕は、固有名詞を覚えない。すると、たとえば、「織田信長」という名詞がデータとして記憶されるのではなくて、その人の顔とか性格、イメージ、振舞い、行いなど、関連したさまざまなデータがその近くで記憶される

 自分メモ「僕は固有名詞を覚えていたなあ。著者が言うような関連する知識を意識したことがなかった。小学校の時とかそんなことは考えたこともない。織田信長織田信長で記憶していたんだろうか?」

      「この記憶の仕方は言葉を鵜呑みにしないことを表している。先程の僕の覚え方だとどうしても、関連の知識がないためにかえって織田信長を理解してなかったのかもしれない。」

  

 人間の精神は、自身を庇うようにできている。基本的に自分びいきだ。したがって、主観的な観測をすれば、自分は正しい、相手が間違っている、という判断に自然になる。

 自分メモ「人間の精神は自分びいきという言葉は、まさにその通りだと思った。僕自身もそうだ。相手が間違っていると思うときは感情的な判断を自分がしてしまっているということか?」

    「自分が正しいのは自分を庇うから。なら自分を庇わない方法はあるのだろうか?」

幸い、僕には考えることが沢山あった。だから、自分のことについてそれほど悩む暇がなかった、ともいえる。これは非常に重要なポイントかもしれない、とのちほど気づくことになった。 

 自分メモ「僕には考えることがたくさんあっただろうか?自分のことについて考えていた時間が長かったように思える。自分のことに悩まないことがなぜ重要なのだろうか?」

すなわち、自分のことを考えるというのは、自分のことだけを考えるのではない。なんでも良いから、とことん考えているうちに、だんだん自分というものがわかってくる、という知見である。 

 自分メモ「自分のことを考えるとは自分のことを考えない?自分とは別の対象を考える対象にするから自分が見えてくるのか?他人を見るからこそ、自分がわかる?」

     「僕にはまだそれがわからない。なぜなら、僕は自分のことばかり考えていたか ら。本を読むときも他人のために読もうと思うことや自分の興味のないことに目を向けることが、自分を対象から外すことができるかもしれない。」