読書においてのアウトプットについて
読書する上で大切なこと。
それはアウトプットである。しかし、アウトプットをする上で思考することが大切なのではないかと思い始めている。
と言うのも、インプットして情報をアウトプットする上でそのままアウトプットしてしまう。
そうすると、右から左に流してるだけで、考えることをしていない。そのせいで、忘れやすいし、そもそも自分の思考を通していないから自分にとって重要性が感じられないからかも知れない。
それだと何のために暗記しているのかよく分からないと言う話になってしまう。
暗記を否定しているわけではないけど、インプットしてから思考してアウトプットの流れがいいと思う。
自分で疑問を作らないと思考できない。だからインプットした情報をもとに疑問を作る。
それをアウトプットした方がいい。
でも、これがなかなか骨が折れる事も事実だ。何せ疲れる。
それなら、インプットした情報をそのままアウトプットしたほうが楽に違いない。
僕もめんどくさい。思考ってめんどくさいんだ。なぜめんどくさいと感じるのか。
普段考えていないからがまず挙げられる。
やっぱり考えることもある程度の慣れが必要だと思う。
自分の思考を書いていくことがいいのか。あらすじを書くのかの違いくらいある。
自分を知ってもらうためには自分の思考を書いていく必要があるね。
あらすじは誰にでもかける。
ブログも自分のことを知ってもらいたくて書いている人もいると思う。僕もそうだ。
さて、疑問を作ることが考える作業の一歩だ。しかし、その前に考えるための知識はある程度必要だ。だから、暗記も全否定できない。暗記した知識を使用して、疑問が作れるから。
本をたくさん読むこともそうした疑問を作ることを目的とすれば、ただの暗記に止まることはないはず。
アウトプットが自分の思考になるようにしていきたい。
では今回はここまで!
終わり
読書法 気づいたことメモ
巷ではインプットとアウトプットを繰り返すことが大事だと言われている。
僕もその通りだと思う。
ではどうすればインプットとアウトプットをすることができるのか?
今回は、色々と情報を見てきたので、まとめてみたい。
まずはアウトプットからのインプットと思うこと。
なぜなら、使い道を知らないでインプットばかりしても意味のないインプットになってしまうからだ。
そして、繰り返す事が重要。要はできるまで繰り返せと言うことですね。
わかるまで繰り返す。覚えるまで繰り返す。そんなイメージです。
ただ、インプットとアウトプットのサイクルを回る上での注意点がある。
完璧なインプットを目指さない。
デタラメに答えてみる。
仮説のつもりで答えを言ってみる。
読むときは完全に理解しようとしない。
完全に覚えようとしない。
一字一句覚えてやるぞと思わない。
これからの本の読み方について
インプットとアウトプットの大切さを知っていたけど、結局インプット重視になっていたと反省。
アウトプット重視でいきたい。
もっと気楽に繰り返す事もしていきたいな。
デタラメでも答えを言ってみるって言うのも考えてみれば、クイズ番組でもそんな感じだ。
クイズ番組の問題を見てもそこまで頭痛くならない。
不思議だけど、分からなくても考えてしまう。それで答えを知って残念がる。
こんな楽しい感じでインプットとアウトプットをしよう。
【読書メモ】生くる執行草舟を読んでみた。読書法に悩んでいた僕にとって考えされられたこと
読書法に悩んでいるのらねこです。
読書法って色々あるんですよね。速読や多読や遅読などなど。本の読み方って本当に色々あります。しかし、僕自身が身につけたい読書法とは何かをはっきりさせたい。
読書をする目的は何だろうか。たくさん本を読んで知識を身につけたい。まずはこれを思い出した。しかし、知識を身につけた先が明確になっていない。また、知識を身につけることだけが読書なのかという新たな疑問も芽生えた。
そこで、今回の本の中に読書論が書いてあった。それを読んでみたときの素直な感想を述べたい。
特に印象に残ったことは
読書を通じて文化の先達と自己の魂の対話を行うこと
この意識は僕にはなかった。知識を得られればそれでよしと思っていたからだ。
この言葉を聞くと、身が引き締まる気持ちになる。古典を読むときがまさにそのような感じだろう。
肝心なことは対話なのだから自分も考える必要があると言うことだ。
読書に教えられてばかりではいけない。その知識をまた自分で使わなければ、知識を右から左に流しているのとそう変わらない。
あまり、真面目になりすぎるのも考えものだけど、頭の片隅に入れておくだけでも、いいなと思っている。
そう考えると対話するには、ブログなどに書くことも対話と呼べるかも知れない。
やはり読むと書くはコインの表と裏だ。
一つのものなのだ。
こんな感じで、軽くアウトプットしてみた。
ではまた!
【アンチ整理術 森博嗣】 引用と自分の考えをつらつら書いてみた
どうも。のらねこです。
今回は『アンチ整理術』から僕が気になったところを引用します。
その引用に対して、僕の考えも書いていきます。
では早速いってみましょう。
発想というのは、人間の頭の中に格納されたものが、図書館のように順番に並んでいないことを連想させる行為である。(中略)
いわば、抽象化しているからこそ、そういったぼんやりとした関係性のようなものが見えてくることが多い。
自分メモ「一見すると、確かに発想は整理整頓したイメージがない。ぼんやりとした中で生まれるものが発想ということなのかな?」
「僕にとっての発想とはなんだろう?確かに最初ぼんやりしている。初めからはっきりした形であることはない。そして消えやすい。浮かんでは消えるのが早いような気がする。」
僕は、固有名詞を覚えない。すると、たとえば、「織田信長」という名詞がデータとして記憶されるのではなくて、その人の顔とか性格、イメージ、振舞い、行いなど、関連したさまざまなデータがその近くで記憶される
自分メモ「僕は固有名詞を覚えていたなあ。著者が言うような関連する知識を意識したことがなかった。小学校の時とかそんなことは考えたこともない。織田信長は織田信長で記憶していたんだろうか?」
「この記憶の仕方は言葉を鵜呑みにしないことを表している。先程の僕の覚え方だとどうしても、関連の知識がないためにかえって織田信長を理解してなかったのかもしれない。」
人間の精神は、自身を庇うようにできている。基本的に自分びいきだ。したがって、主観的な観測をすれば、自分は正しい、相手が間違っている、という判断に自然になる。
自分メモ「人間の精神は自分びいきという言葉は、まさにその通りだと思った。僕自身もそうだ。相手が間違っていると思うときは感情的な判断を自分がしてしまっているということか?」
「自分が正しいのは自分を庇うから。なら自分を庇わない方法はあるのだろうか?」
幸い、僕には考えることが沢山あった。だから、自分のことについてそれほど悩む暇がなかった、ともいえる。これは非常に重要なポイントかもしれない、とのちほど気づくことになった。
自分メモ「僕には考えることがたくさんあっただろうか?自分のことについて考えていた時間が長かったように思える。自分のことに悩まないことがなぜ重要なのだろうか?」
すなわち、自分のことを考えるというのは、自分のことだけを考えるのではない。なんでも良いから、とことん考えているうちに、だんだん自分というものがわかってくる、という知見である。
自分メモ「自分のことを考えるとは自分のことを考えない?自分とは別の対象を考える対象にするから自分が見えてくるのか?他人を見るからこそ、自分がわかる?」
「僕にはまだそれがわからない。なぜなら、僕は自分のことばかり考えていたか ら。本を読むときも他人のために読もうと思うことや自分の興味のないことに目を向けることが、自分を対象から外すことができるかもしれない。」
【集中力はいらない 森博嗣】 自分が好きなところを引用して感想を書いてみた
情報の多くは、伝聞であって、自分で事実を確かめたわけではないから、複数の情報源に当たって、そこに挙げられている数字を比べてみるのが一番無難である。
自分メモ「 僕自身数学が苦手だ。しかし、この記述を見ると僕は言葉を頼りにしていることがわかった。」
「また、複数の情報に当たることが大切なことがわかった。ただ、同時に疑問に思った点は、数字を比べるとことが一番無難かどうかは自分で確かめていないからわからないこと。今までは複数の情報を確かめもせずにいた。もちろん数字で比べてみようとも思ったことはない。数字の使い方を僕は考えたことがなかったんだと気づいた。」
言葉は意図的に歪められているので
(中略)
数字は間違ったものを発表しにくいし、周囲の数字との整合性から、局所的な嘘がすぐにばれてしまう。
自分メモ「数字を比べる習慣がないから、この文章は正直わからなかった。もう少し数字に触れた方がいいかもしれない。」
雑多な情報の中から何を選ぶのか、という問題ではなく、その情報をどう加工して自分の頭に入れるのか、と言うところが肝要だと思う。
自分メモ「なるほど。選ぶのではなく加工してどう頭に入れるかが大切だそうだ。
自分は選ぶだけを今までしてきた。では加工とは具体的に何をするのか?」
どう加工するのかとは、つまり自分が持っている知識や理屈と照らし合わせて、フィルタリングしたり、あるいは推測を行ったりする、と言うことであって、まずは、自分の知識と理屈を持っている必要がある。
自分メモ「加工するとは、自分が持っている知識や理屈と照らし合わせること。」
「普段僕やっていないことですね。複数の情報を見ても、選ぶだけ。しかも、選ぶ基準はないです。そのまま入れている感じがする。」
「自分自身と照らし合わせることは自分の存在を忘れないようにするため?あるいは、自分を他人の知識や経験に介入するためかも?」
「これは、自分がどうその習得したい知識を使うのかをインプットする行為か?」
「自分にとって、知識を加工するとという行為がなかったために理解も乏しかったと思っている。」
本と友達になるために必要なのはたった一つです
こんな悩みないですか?
- 「本読んでても頭に入らない」
- 「なんか本は人というけどどうやるとそう感じるの?」
僕も上記の悩みよく分かります。
というのも、僕自身も本は読むけど、結構いい加減な読み方だったからです。
そこであるコツを意識するといいよという話です。
本と対話すること
これが答えです。
人と対話する時と同じように本に対してもしていきます。
手順
- 本を用意する
- 本を読む
- 読みながら人と会話するように読む
- 頭の中で会話するor実際に声に出してもOK
こんな流れです。
イメージできますか?
これは違うんじゃないか?とかそういうことかとかなんでも良いですよ。
会話するように読むと記憶に残りやすいこと。
ただ、読むのが遅くなるのがデメリットです。
まとめ「時間がかかる読書」と言い換えても良いですね
「え〜そんなにかかるの〜」と思われた方がいるかもしれません。
でも、早く読んでも、理解できず記憶にも残らない本。
「わざわざお金を払って読みますか?」
僕なら読まないです。
せっかくなら記憶に残したい。自分に役立てたいと思うもの。
だから、僕は時間がかかる読書をすすめています。
今回は以上になります。のらねこでした。
昼夜逆転を終わりにする!デメリットを紹介していきます
のらねこです。
最近「イライラするし、体の調子も悪い。でも夜の方が気持ちいいから。朝起きなくてもいいや」
なんて思いながら昼夜逆転を続けているあなた!
そんな僕も、昼夜逆転していた時期がありました。でも当時は、体調は最悪だし睡眠も良く取れていませんでした。疲れも取れない感じなんです。
しかし、「このままだといけない」と僕は思っていました。あなたも昼夜逆転のままだと社会に置いてかれるような感じしませんか?
そこで、僕はなんとか『昼夜逆転』を直すためにネットや本で調べました。そこで知った情報を今回はここにまとめておきます。
昼夜逆転を治すメリットはこんなにある!
- 体の不調が消える
- 体のリズムが整う
- 精神的なリズムも整う
- イライラしなくなる
- 朝に起きることが気持ち良くなる
- 朝から勉強などの有意義な時間の使い方ができる
なるほど〜。こんなにメリットがあるんだ。これはやらないと損だね!
解決策
- 夜の寝る時間まで寝ないこと
- あえて疲れることをする(運動など)
- 昼夜逆転のデメリットばかりを見る
一つずつ解説しますね。いってみよう〜!
⒈夜の寝る時間まで寝ないこと
正攻法ですね笑 どうしても、昼夜逆転の人は、夜までに寝てしまいます。
それをなんとかガマンして起きていてほしいんです。
実を言うと僕も、これで徐々に直りました。
⒉あえて疲れることをする(運動など)
昼夜逆転の人は、部屋に引きこもっている方が多いです。
そうすると、僕もそうですが、眠くなるし、いざ夜になると寝れなくなるんですよね。
でも、眠いけど朝に起きて、筋トレなどの運動でも大丈夫。
それをすることで、適度な疲労感が生まれる。
僕も室内でよくストレッチや筋トレをしていました。
⒊昼夜逆転のデメリットを見る
これはデメリットを直視することで、危機感を抱かせることが目的なんです。危機感を持てば「これはいけないぞ!」と思って行動を起こすようになります。
考え方から昼夜逆転を直さないきゃいけないんですよね。僕もこのままだといけないという気持ちを持っていました。
まとめ 昼夜逆転していてもいいことないよ
さていかがでしたか?
昼夜逆転はいいことはありません。夜はやはり休息の時間です。
朝や昼は活動する時間です。このバランスは大切ですよね。
いま昼夜逆転に悩んでいるあなたもこれをきっかけにしてがんばっていきましょ!