【ブログ初心者が語る】 内向的な人はブログやった方がいいかも!

どうも!のらねこです。

今から書いてある記事は、前に書かれた記事です。

僕の中の旬は過ぎてます。

ではどうぞ!

 

僕は内向的な人間です。だから言葉にすることが苦手です。

 

そんな僕は最近ブログにハマっています。まあ初心者ブロガーになるのかな?

 

読まれない記事たち

 

でも、色々調べてみると今書いている記事なんか読まれなさそうです。

 

それでも記事を書くことに慣れるために、記事を書くことを優先しています。

 

 

多少は、読んでくれるような工夫を少しはしますけどね。

 

ただ、やり過ぎると書きたいことが、書けなくなるかも。

まずはブログに慣れること。

文章を書くことに慣れることが大事にしたいポイントでお支払いになりますね。

 

まあホンネは見てもらいたいし、あわよくば収益化もしたい。( ^ω^ )

 

でも・・・・。

おそらく僕には続かないと思います。

 

それはもちろんお金もアクセスも欲しい!

けど、なかなか上手くはいかないでしょうね。

 

日記ブログはなかなか読まれないことで有名だそうです。

この記事がまさにそう。

 

このブログが日記ブログみたいなものです。

イヤイヤ書き続けるよりも、好きなものを書いていきたい。そんな思いがあります。

 

実はブログ立ち上げは今年の一月だった・・・が!

 

内向的な人の自主訓練という形でこのブログ再開したんですよ。

 

実は、今年1月からこのブログを立ち上げました。それから書いてはいたんですけどね。

 

ブログ論ばかりに気を取られて・・・。

 

収益化に気を取られて・・・。

 

結果何も書けなくなりました。

 

マジでヤバイです。

書くことをもっと優先すればよかったと後悔しています。

最後に 続けることが大事です

なんだかんだ言っても、続けることは大事ですよね。

内向的な人もブログはおすすめできます。

まあ文章を書く練習もできますから。

もしかしたら、コメントが来るかも知れないですよ。

僕はまだ来てませんけどね。

 

それでは!内向的な初心者ブロガーのらねこでした!

 

方便ってなんだろう?そこから見えてくる僕の考え方

どうも、のらねこです。

 

最近とあるツイートを見て学んだことを書いていきます。

ちょくちょく間違っている可能性もあるので、参考までに見てね。

まずは方便の意味から。

 

方便とは?

方便ってなんか都合のいいイメージを僕は持っていた。でも、それが誤解だとこのツイートは教えてくれた。

僕はそのツイートを見て、方便とは「相手の願望の合わせた手段を講じること」と解釈しました。

相手の願望に合わせていくことは相手のことを理解する事が前提ですよね。例えば、相手がお腹いっぱいの時にどんどん食べてと料理を出す人って正直迷惑ですよね。

また、頑張れという言葉ばかり言ってくる人。この人たちも相手を見ていない可能性がありますね。

なぜなら、相手のことを思って言っているのであれば、言葉だけってことはないから。

行動もセットだと僕は思っています。だから、相手の願望を知る。相手人を深く知る機会が必要になってくるわけです。

方便の元々の意味って?

 

方便の元々の意味は、真理に近づけること。真理っていうのは、法則のこと。ルールのことだね。

 

また、方便にはもう一つの意味があって、相手の機根に合わせること。機根っていうのは、仏教を信じて実践する能力。さらに機根を一文字ずつ分けてみる。機の意味は、働き。根の意味は、人の根底にある性質・性格。このような意味がある。

なるほどなあと思いました。人間の根底になる性質って難しそうです。つまり、生まれ持った器みたいな感じ?いや、余計分からないか。

 

方便を嘘のことだと勝手に思っていた僕としては今回のことは学びの連続だった

方便はもっといい意味なんですね。相手の機根や願望に合わせて手段を提示する。

これって、教育において必要ですよね。

今の学校教育がまさにそうじゃないかと。なんだか一方通行みたいな感じです。これだけやってれば大丈夫だからと一方的に教材を渡してくる。宿題なんかそんな感じです。

僕自身もできていたかどうかは正直微妙なところですけどね。ただ、こうやって自分の考えを引っ張り出す事ができたことは収穫になります。

相手もハッピー自分もハッピー

とても難しいことだけど、相手も自分もハッピーになれる道を探すことが結構大事な気がする。

しかし、実戦となると、なかなか思いつかない。日頃から、訓練してないと思い付かないですよね。

例えば、お笑いが好きな人と嫌いな人。

どちらも納得する道とは何かを考えるといいかも。実際に考えてもらうと分かると思うけど、パッと出てこないですよね?僕自身もまだまだ訓練中のため出てきません。

 

結構強引になるかもしれないけど、お笑いが好きな人って連帯感とか共感とかが必要になってくると思うんですよね。お笑いが嫌いな人は、それとは反対かな?共感したくない人?連帯感よりは一人でいる方が好きな人。孤独を愛している人かな。

 

う〜ん。なんだろう?インターネットの動画配信でお笑いを流すみたいな?もうやってるかな?これなら、お笑いが嫌いな人も好きになるかも?まとまらない感じですけど、今の僕だとこれぐらいしか思い付かない。

 

ちょっと疲れてきたので、ここで終わりますね。

 

良ければ感想などもよろしくお願いします。

ものすごく喜びます!

 

ありがとうございました。

 

 

 

社会不安障害の僕が対策を自分なりに考えてみた

どうも。のらねこです。

 

僕は人と比べたことはないけれど、不安が強い人間だと思っています。みなさんも多かれ少なかれありますよね。

 

ネットで調べてみると、不安の解消法や不安を感じるのは自然だなど、いろいろ書いてありますね。

 

確かにどれもそうかもしれないと思いながらも、なかなか受け入れることができずにいました。

 

そこで今回、思考(考え方)で不安との向き合い方と僕自身がやってみてどう変化したのか、について書いていきたいと思います。

社会不安障害とは?

まず不安について調べてみました。

 

不安とは、心配したり恐怖したりすることです。ただそれだと皆さん誰しもが不安を持っていますよね。

 

そんな中で社会不安障害というのは、不安だけではなくて動悸やめまいなどの体の症状が出てきてしまうそうです。

 

社会不安障害とは、特定の状況や人前で不安を感じそれを避ける病気のことです。

 

確かに振り返ると、僕の小学校時代や中学校時代でも、人前が苦手だった気がする。小学校の習字の時間に字を書こうとすると手が震えた。

 

なぜなら、先生に見られることが怖かったから。そのことで頭がいっぱいになって、書くこと自体が苦痛になっていました。

対策は2つ

 

とりあえず対策は2つです。僕は2つのやり方でやっています。

 

こんな頃が僕にはあり、何度も同じ経験をしてきました。そのときはなんで自分はこんなに精神的に脆いのだろうと思ったことを覚えています。

 

まだ社会不安障害とは知らなかったときです。いまさらですけど、そのときに分かれば少しは楽に生きていけたのだろうと思います。

 

1つ目は、深く考えないことが大事かもしれないですね。僕はよく悩むタイプの人間です。

よく悩む人間はだいたい答えが出なくて辛くなったりしませんか?僕はそうでした。こういう経験を何度もしているのは辛いですよね。

 

2つ目は、瞑想や深呼吸がきかないかもしれません。僕の経験ですが、恐怖を感じたり妄想が止まらなくなったりして不安になってしまう。

 

そんなときに、深呼吸をする。深呼吸ならいつでもどこでもできます。

 

またひとりなれるなら瞑想でもいいかもしれないですね。

 

瞑想と言っても難しく考える必要がないです。目をつむって呼吸に意識を集中してみる。お腹の膨らみに意識を向けるなど体の感覚に集中するやり方です。

最後に

さんざん言ってきたけど最近はあまり深呼吸や瞑想をしていない。

めんどくさいから。

ただ時々でもいいから、やってみようと思う。

良ければ感想などもよろしくお願いします。

ものすごく喜びます!

知性ってなに?僕なりに考えてみる

知性とはなんだろう。

 

知性にもいろいろある。

例えば、知識が豊富な人だ。よくクイズ番組に出ている人たち。彼らが、競っているのは知識を覚えているかどうかだ。つまり記憶力を競っている。しかし、皆さんもご存知だろう。記憶は歳をとっていくごとに悪くなる傾向がある。

歳のせいで記憶力が落ちてしまうのはしょうが無いことだ。ただ、記憶を上げていくトレーニングはある。思い出すことだ。何も見ずに思い出すことができれば記憶力は上がる。

しかし、知性ではない。記憶力が良くても、その知識は生かしているのだろうか。

活かせない知識に意味はあるのだろうか。僕は疑問に思う。知識を披露する上で何かと鼻につく部分がある。

確かに、知識を得ることは一種の万能感を人にあたえる。僕自身も経験がある。僕は知識が少ない人間だ。だからいつも、不安な気持ちでいた。自分に穴が空いたような感じをいつも抱いていた。

 

父に言われた。「そんなことも知らないのか」

その言葉にかっとした。怒りを覚えたのだ。

結局僕も、記憶力しか鍛えてこなかった人間の一人だと後になって気づいた。

 

記憶力ではない何かを求めていた。それが知性だと思う。

では知性とは思考力ではないかと思い始めている。知性=思考力。もっと噛み砕いていうと、思考力とは疑問を持つことだ。

 

疑問をたくさん出して、その疑問の答えを探して、また疑問が出て・・・。繰り返しいく過程が考えることだろうと思う。

 

また、いろいろな分野の勉強をしていくといい。分野同士でつながりを見つける事ができる。

そのつながりが個性であり思考になる。

面白い文章とは、そうして、出来上がっていくと思う。

 良ければ感想などをもらえると嬉しいです!ありがとうございました。

高い視点で見ることが大切だ

どうも、のらねこです。

今回は、高い視点で見ることが大切なことについて書いていきます。

まず、高い視点とはなんだろう?視点とは見る方向や切り口のこと。視点を高く持つと、山からみる景色と同じ。

なぜ高い視点が大事なのか?視点を上げていくことは全体を把握していくことにつながるから。

また、視点を上げるとは背景を知ることにもつながる。歴史のようなものだ。

歴史を勉強していくときも、暗記ではなく、背景を知ることで、点が線になる。理解が深まる感覚があるはずだ。

 

さらにシンプルな思考を持つことになる。シンプルな思考はがんじがらめの思考よりテキパキとできる感覚がある。

 

ではどうやって高い視点でものを見る事ができるのか?

物事の背景を知ること。

さらに自分の思考を絡ませること。

 

背景を知ることで、繋げていくことができる。さらに自分の持っている情報や思考に対して繋げてみる。

それをやり続けていくことにより、蜘蛛の巣になっていき、視点が自動的に高くなるのではないだろうか。

 

僕は、自分の視点は低い方だと感じる。なぜなら、思考してこなかったからだ。

思考することとは疑問を持つことも大事になってくる。

インプットした情報を自分の問題にすることも大事になってくるのだろう。

 

とりあえず、高い視点で見ることを地道にやっていこうと思う。

 

 

宗教は理系の人が信じやすいのか?僕なりの予想を考えてみた

のらねこです。

宗教学の記事を見つけました。その中に理系の人の方が信じやすい傾向があるという記述がありました。

そのことから派生して、自分の考えを書いていきたいと思います。

 

理系の人は信じないと僕は思っていました。なぜなら、論理的に考えることができているからです。

 

しかし、宗教になるとなぜ信じてやすいのだろう。理系の人は好奇心が旺盛だと思う。

理系は分析や論理など重きを置いているように思う。

論理に重きを置く事ができるが、好奇心が邪魔をして、冷静さを失わせるのではないかと思う。

だから、理系の方が信じやすいのかもしれない。では文系は?

逆に文系は好奇心がないわけではないが、違う方向の好奇心だ。今目の前にあるものに注目する。

しかし、理系は今だけではない未来のことにも目を向けている。

そのことが、理系は宗教に取り込めれやすいのかもしれない。

また、個人的な考えが続くが、理系の人は子供っぽいところが内面にあるのかもしれない。

そのことから、未知のものに対して、前のめりになるのではないか?

好奇心がまだ起こっていない未来に対して抱いている。視点の高さがあるのではと感じた。

 

このような疑問を持つことが理系が信じやすい傾向にあるという一文で派生させた僕のか考えである。

 

 

【音声入力】怒りという単語で考えてみた

こんにちは、のらねこです。

 

今回このブログ記事は音声入力で文字を入れています。

精度はなかなかいいと思います。一文一文であれば問題なく文字入力ができるみたいですね。

昨日ブログ記事を更新しましたが、音声入力でやってみると結構早いペースで入力ができます。

昨夜から結構できることが増えるのではないかと思いました。僕はなかなか文字入力が早い方ではないので、音声入力を駆使して文字数が増えてくれればと思います。


さて今回のテーマは怒りです。

 

怒りとは一般的に他人を害するものだと言う認識を持っていると思います。もちろん僕もそう思っています。

しかし、怒りの有効活用と言うものは本当にないのでしょうか?

 

例えば、怒りと言うのは感情です。感情は目に見えません。

でも感情に怒りと言うラベルを貼り付けることにより一見すると目に見える形を生み出せます。

 

怒りにラベルは貼り付けられるが、怒り=感情ではないと思います。怒りというラベルが、怒りそのものを捉えているわけではないと考えています。ただしラベルを使うことによって1部分でもとらえることができる。

 

それを操作することが可能になります。そうすればある程度の怒りをコントロールすることもできるのではないでしょうか。

 

例えば、人に悪口を言われ怒りの感情を感じたときに、怒りだと自分が気づくことができます。気づくことができれば怒りを客観的に見ることができます。

 

また、客観的に見ることによって多少の冷静さを保つことができ冷静な判断ができます。客観的とは、あらゆる手段を持っている状態と言う意味もあると思います。

 

その手段の持ち数によって1つ目の手段はダメでも2つ目の手段は3つ目の手段があると思えば心に余裕ができます。

心に余裕があれば冷静になることもできるでしょう。

 

さてここまで、音声入力でやってきましたが、いかがだったでしょうか。自分としては、結構スムーズに音声入力ができることに驚きました。

普通に打ち込むよりも850文字が出るとは思ってもみませんでした。キーボードで打つより、文章作成が捗りそうですね。

 

ではのらねこでした。