ブログと孤独  自分の思考を研ぎ澄ませる大切さ

ブログを最近また書きはじめている。

 

以前、ブログを書いていた。

でも、多くのブロガーと同じような書き方をしていた。

そして、書くネタも被っていたように思う。

 

 

それがキツかった。

初心者は型を覚えることが大事

みたいなことを言われる。

 

確かに最初は大事だと思う。

文章を書きはじめの人は

ネタも書き方もわからないからだ。

 

しかし、あくまで最初までだ。

 

猿真似しても

あなたの文章にはならない。

あなた独自の考え方でもない。

それでいいのだろうか?

 

 

他人の真似をしたら

自分ならどう考えて

どう感じて

書いていくのか

 

考える過程が必要になってくる。

 

むしろ、そちらの方が

今は大切だと思う。

 

僕も辛かったのは

ノウハウや他人の考え方を

そのまま鵜呑みにしてしまった。

 

これが原因で辛くなる。

 

そもそも、他人と同じ考えで文章を書いても

その人の劣化コピーにしかならない。

 

それに競争の世界になる

でも、あなた独自の価値があれば

競争をする必要はなくなる。

 

競争の世界で一番をとることは

相当難しい。

 

オリンピック選手だって

何年も前から厳しいトレーニングを

毎日のようにこなしているのだ。

 

それでも世界には自分より強い人がいる。

一位にはなれないことがある。

 

このような世界において

余程自分の能力が優れているならいい

でも、どうだろうか?

 

そこで、自分の思考を鍛えることが

僕はいいと思う。

 

これなら真似されにくいからだ。

 

他人のノウハウや考え方はあくまで

参考程度の留めること。

 

自分の思考を止めないことが大事だ。

 

 

ノウハウコレクターの人も同じだ。

その人は一旦それから離れてみた方がいいかもしれない。

 

自分はどう思うのか?できるのか?

自分の考えを常に意識する。

 

そういった孤独になる時間が

思考を磨いていくのではないか

今の僕はそう思う。

 

以上になります。

 

 

 

 

 

質よりもまずは量を 全てはハッタリから生まれる

文章が書けない人はなぜいるのだろう?

 

それは完璧な文章をいきなり求めているからだ。

 

自分に対して期待が高いことが原因としてあると思う。

 

期待が高ければ、当然ハードルも上がる。

だからできなかった時の落差が激しいのだ。

 

 

そして、失望してあきらめてしまう。

もったいないですね。

 

文章を書くうえで最初に取り組むべきことは

質より量の考えを取り入れてみてほしい。

 

とにかく書いてみればいい。

一文でもいいから書いてみる。

そしたら、続きが書けるかも知れない。

 

書けなくても、落ち込まずに

明日書けばいいだけです。

 

書く時のハードルを下げる方法は

もう一つあります。

それは、ハッタリです。

 

なんのこと?と思われるので

説明しますね。

 

ハッタリだから何を書いてもいいわけです。

間違ったことでも

めちゃくちゃな文章でも

適当に書いてみるのがポイントです。

 

そうすることで文章を書く

その習慣は持てると思います。

それから質に入ればいいわけです。

 

まずは、ハッタリで文章を書いてみよう

そうやって文章を書くハードル下げよう!!

 

そんなお話でした。

 

以上です。

 

 

サボることは悪いこと?休憩の重要性

サボることは悪いことだと思っていませんか?

 

サボるということは

休憩したい何かがあると思います。

 

それは何か?めんどくさいからサボりたい。

そう思う理由はなんでしょうか?

 

僕は、効率重視の考え方が原因じゃないかと考える。

効率を重視するあまり、思考する時間がなくなる。

だから、めんどうという感情だけが残る。

結果としてめんどくさいものは避けようとする。

 

上記のようなことが

起こっていると僕は思います。

 

また、やろうとしていることや

やりたい理由がきちんと深掘りされていない場合

ぶれやすくなります。

 

なぜなら感情は移ろいやすくなるからです。

 

 

例えば、ものすごく欲しいものが

手に入る前と後では

気持ちの変化があるはずです。

 

 

ですから、理由をしっかり作ることがいい。

感情だけを理由にしないこと。

 

感情に対しても

なぜそう感じるのか?

考えてみたほうがいいでしょうね。

 

 

また、サボることはいいこともありますね。

休憩できることです。

 

そもそも、サボりたいと思うのは

休みたい理由があるのかもしれません。

 

一つに挙げられる理由は

飽きたのかもしれませんね。

 

飽きたと感じるのは

一つのことに集中しすぎたから

だからいったん別のことに切り替えたほうがいいわけです。

 

休憩はなにもしないこと

こういう考え方もあるでしょう。

 

でも、もう一つあると

僕は思っていて

別の作業をする合図だとかんがえているんです。

 

理由は先ほど挙げた

飽きたと感じるから

 

どんなに好きなゲームでも

同じことを繰り返してきたら

飽きますよね?

 

そんなときこそ

休憩を取り入れるといいと思います。

 

なにもしないか

別のことをするか

これらを選んでみればいいと思います。

 

さて、ここまで書きましたが、

書けるか不安でしたけど

案外書けるものですね。

 

以上になります。

 

 

 

 

 

ストレスに意味はあるのか?嫌なことをするメリットを考える

ストレスを感じる人は多いだろう。

ストレスは例えるなら、圧力みたいなものだ。

 

僕たちは常にストレスを受け続けている状態だと思う。

世間では嫌なことは率先してやろうとか

嫌なことをこなすことで人間として成長できるなど

 

このような考え方がある。

一方で、嫌なことは避けてもいい

嫌なことから逃げてもいい

嫌なことをしていては

成長にはならない。

 

こんな意見もある。

 

果たして、どっちがいいのか?

そう考える人が多いと思う。

 

僕もその1人だ。

しかし、答えなんて出るはずもないと思う。

 

結局は人それぞれだし

環境の条件や

個性にもよるところが大きいと思う。

 

だから一概にこうだとは言いづらい。

 

ただ、嫌なことをするメリットとは

嫌なことの中に成長する機会が含まれている

そんな可能性はあるように思える。

 

食べず嫌いのようなものだ。

 

こう考えると、決めつけが良くないのだろうか?

 

ストレスのない人生というキーワードがある。

 

でも、違和感がある。

 

ストレスはないといけない時もあると思ったからだ。

 

僕はストレスは圧力のようなものと書いたけど

ストレスがないということは

圧力がないから

なんていうのか力が出ないのではないだろうか。

 

人体もそうだろう。

外圧と内圧が確かあったはずだ。

 

また、僕たちにはあらゆる力が働いている。

 

重力や引力などがそうだ。

 

これらがないと困る状況もある。

 

ストレスに意味を見出すならば

適度なストレスは

パフォーマンスを向上させる効果が期待できるのではと感じた。

 

ストレスがあるからこそ

僕たちは他の圧力

他人の重圧などに抗える。

力が拮抗している状態を保てるのだと思う。

 

スポーツ選手にしても

ストレスは戦いに必要なものだ。

 

ストレスが戦いの質を上げてくれる。

 

こう考えると、もしかしたら

ストレスも必要なものであると言ってもいいかも知れない。

 

ただし、ストレスばかり受け続けて参る人もいる。

 

その場合は嫌なことから逃げ出してもいいのではないか。

別に0からのスタートになるわけではない。

 

挫折は振り出しに戻るわけではない。

 

挫折はリスタートだ。

 

挫折した経験がまたあなたを強くしていると思う。

 

嫌なことを率先して

ストレスのある環境に飛び込む

そこまでストイックにならなくてもいいと思う。

 

続かないことには成功もない。

 

ストレスとの付き合い方も

人それぞれだろうと考えました。

 

以上になります。

読書とはなんのためにするのか?考える種の探し方

あなたは読書しますか?

 

最初は推理小説から始まり

エッセイになり

ノンフィクション系を読んでいた。

 

しかし、最近読むことがなくなった。

なぜなら、アウトプットしてなかったからだ。

 

今になって思えば、最初からアウトプットしてこなかった。

 

ただただ無目的に読んでいた。

これが小説ならば別に構わない。

 

しかし、学習において

そういうわけにもいかないだろう。

 

アウトプットしなければ

頭に残らない

確かに残らなかった。

 

特に昔は自己啓発系の本が多かった。

自分を変えたい気持ちで

読み始めた。

 

でも、変わらなかった。

そして、知識として頭にも残っていない。

 

なんとも呆れたものだ。

 

後になって

アウトプットが大切だということに

気づいた。

 

しかし、文章を書いていくことは思いつかなかった。

 

昔から文章を読むことは好きだけど

書くことについては

全く思いつきもしなかった。

 

読むことに集中していたからだろう。

 

最近まで、読むのが辛かった。

全部読まないと

そう思い込んでいたからだ。

 

でも、アウトプットの一環として

文章を書くことを

やり始めた。

 

こうやって下手でも文章を買うことは

確かに頭の体操になる。

 

本の内容を全部覚えたり

全部理解したり

する必要はない。

 

むしろ、本の内容に対して

反論や異論など

あるいは関係ないことでもいい。

 

思いついたことが大切な考える種になる。

 

それを自分なりに説明してみるといい。

頭の体操になるし

文章も上手くなると思う。

 

考える種は別に本だけではない。

アニメや映画でもいい。

別に考えるきっかけって

なんでもいいだと思う。

 

読書にこだわらずに

考えるきっかけ探しに出かけてみては

いかがだろうか?

 

以上になります。

 

いきなりオリジナルの文章を求めなくてもいい

文章を書く時にネタがない。

そう思ったことはないだろうか。

 

僕は今でもそうなんだけど

書くネタがなかなか思いつかないことがある。

 

それでも自分なりの文章を書きたい。

何か伝えたいという思いはある。

 

けど、なかなか文章で表現しようとすると

難しいと感じるのだ。

 

そこで僕が思ったことは

最初はいきなりオリジナリティを

求めなくてもいいということ。

 

なぜなら、書くこと自体に慣れていない。

そんな人がいきなりオリジナルな文章なんて

書けるわけがないからだ。

 

最初は文章を書くことだけに集中した方がいい。

 

ネタはパクることだ。

パクるといっても丸パクリはだめ。

成長は見込めない。

 

そうではなくて

書くネタだけパクるとか

言い回しをパクるとか

 

組み合わせが必要になるんですよ。

 

自分の意見も取り入れながら

ブログを書いていくことがいいでしょう。

 

そうしているうちに

文章を書くことに慣れてくるはずです。

 

僕も書くネタはブログ記事などを見て

これは!と思ったキーワードを見つけて

そのキーワードを広げて書いている。

 

 

案外この書き方だと

書くことができるので

ネタに困った時には参考にしてください。

 

 

以上になります。

 

 

 

 

ガチャと思考  運ばかりに身を任せるのは危険

最近、スマホゲームのガチャでふと考えてみたくなったことがある。

 

ガチャはいってみれば運ゲーだ。

運に任せる以外になく

自分でどうにかできることではない。

 

思考を挟む余地がないのだ。

運ばかりに身を任せる人生と

試行錯誤しながら頭を使うこと

どちらがいいだろうか?

 

僕はめんどくさいと思いながらも

試行錯誤に落ち着くのかなと

今は考えている。

 

なぜなら、運任せのままでは

いつになっても自分が成長していないからだ

 

自分の成長とは何か?

それは思考にある。

 

思考とは

自分の考えてきた過程だ。

 

どんなことに悩み

問題として捉え

答えを出してきたか?

 

ここに思考の価値があるように思う。

思考は皆違うはずだ。

その前提に立って考えたい。

 

最近、ニュースを見ていて思うのが、

誰も考えていないように見える。

 

反論があまり出てこないし、

出たとしても、ありきたりで

同じところをループしているように見える。

 

なんだかお茶の間を見ている感じがするんですよ。

正しい、正しくないを専門家でもない人が

議論してもあまり意味がないように思う。

 

そもそも、どこまで専門家の話に

ついていけるのだろうか?

 

とりあえず難しいことは専門家に丸投げしているように見える。

 

今のニュースの解説は、

視聴者に徹底的に考えさせないようにしているのだろうか。

 

視聴率が取れればそれでいいのか。

 

考えない人間は、

次第に極端な考え方をしていくだろう。

 

ほとんどの人が

今ある知識や経験を反射で使用し

答えていくことになる。

 

答えのない問題では

あまり役には立たない。

 

過去の経験や知識が

古びて使い物にならなくなる

そんな時も生きている間に来るだろう。

 

もちろん、理解した上で運に任せるのもいいだろうけどね。

 

さて、考えるというのは

少なくとも自分で取りに行く

積極的な姿勢が求められる。

 

好奇心が必要になってくる。

あらゆることに関心を持つこと

そして、理屈を考える。

どんな道筋でこうなるんだろう?

これを想像でもいいからやってみる。

 

この世の中に絶対の答えなんてものはない。

探してもないだろう。

 

人に答えを求めるのではなく

人の答えは一つの例として

参考にしつつ

自分なりの方法を確立してほしい。

 

人に頼りすぎると

上手くいかない時にその人が悪い

そう判断してしまう。

 

できれば、なぜ悪いと思ったのか?考えていると

気づくことがあるかも知れない。

きっと答えを求めるよりも

有益なものが見つかるだろうから。

 

以上になります。