目的を考える。戦略を考える。

どうも、のらねこです。

最近、目的と戦略が大事に思えてきました。なぜかというと、目的を立てずに本を読んできたことによる弊害がありました。

僕の失敗談としてお伝えしたい。目的を持たずに読書しても、何も得られないことに気づいた。正確に言うと、目的がなかったわけではない。 しかし、読むことが目標になっていたため、得るものが満足感のみとなった。これではいけないと思った。これでは自分が変わらない。

元々は自分が変わるために本を読み始めたのではないのか?思考力を鍛えたかったのではないのか?と自問した。

結局は目的をはっきりさせてから読まないと具体的なものは得られない。さらに戦略だ。戦略とは目的を達成させるための手段を考えること。 これもしっかりできていなかった。抽象的な指針すらない。無目的に無作為にやっていた。これでは確かに難しいかもしれない。 こうして、文章を書いていくことが最近になって習慣化してきたように思えるので、これらのことに気づいたと思っている。その点では良かった。 そもそも本を読むことは情報収集の一環だ。目的をしっかり持たないと情報の海に飲み込まれてしまう。

目標を立てる上で気をつけたいのは抽象的な目的か具体的な目的かの違いだ。

例えば、料理を作るとカレーライスを作るでは違うと思う。集める情報が違うと思う。

まあ、どっちの目的を考えるといいかもしれないけどね。視野を広げるためには、抽象的な目的がいいだろう。

具体的な目的は無用というわけではなくて、目標が見えやすい分安心感もあって、取り組みやすい点がありますね。抽象的な目標は、何が必要なのかを考える上で範囲が広いので、大変なんですよね。

戦略もこれから立てるようにしていきたいですけど、いろいろ調べてみるとピンとくるものがなくて、困っているんですよ。

これからは目標を決めることから始める。そして、手段はその後に決めてみる。これでやってみようと思います。

今回はここまでです。ありがとうございました。

僕の失敗談 家電量販店に壊れた電気シェーバー持ってた

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どうも、のらねこです。

 

今回は、失敗談を書いていきたいと思う。

先日、家電量販店で壊れた電気シェーバーを持って行ったんですよ。

そしたら、バッテリーに問題があると保証対象外の情報が・・・。え〜!って思いました。

てっきり保証の対象になっているのだとばかり思っていたので、違うんですね。がっくりです。とはいえ、せっかくなので、もしかしたら、バッテリー以外の問題の可能性もある。それなら保証の対象になるそうです。とりあえずメーカーに出してもらうように店員さんにお願いした感じです。

まあ、4年使用してきましたからね。バッテリーに問題が出てもおかしくないのかな。

4年も使うとなんか愛着がありますよね。毎日使うものですから、高かったけど4年使えば元は取れていると思う。

一つのものをこんなに長く使っていると、当たり前の感覚になる。しかし、高いものは長持ちすると考えるきっかけになった。僕は高いものは長持ちするという考え方を手に入れたと思っている。

ところで、今の電気シェーバーのバッテリー交換の場合、お金がかかる。一万円以上なら電話をくれるようにお願いしている。

もし、お金が発生するならば、別の電気シェーバーを購入検討しなくてはならない。

ここで新たな問題が発生する。そう。次はパナソニックの電気シェーバーを購入するのか?

家電量販店で見てきたが、五枚刃は2万円以上する。僕は、髭が濃いので、五枚刃の必要があるんです。

深剃りができるのが大きな魅力。しかし、2万円以上かかるとなるとどうすればいいだろう。

そう頭を抱えていると、マクセルイズミの電気シェーバーを見つけたのです。

しかも、5枚刃。価格も1万円を切る。これはお買い得じゃないだろうか。

今まで、1万円以下は、3枚刃が多かった。しかし、そうではないことが分かった。

いくら長く使い続けるといっても、お金に余裕がない人もいるはず。しかし、刃の枚数で剃り味も変わってくる。また、肌への負担にも関わる。だから刃の枚数は多い方がいいわけです。

僕としても、価格が安いことに越したことはない。ただ耐久性は不明だ。今ままで、パナソニックの電気シャーバーを使ったことしかない。マクセルイズミも最近知ったばかりだ。

実際に使用してみてみないことには、耐久性についてはなんともいえない。

もちろん、レビュー記事や家電量販店のサイトのクチコミなども、調べた。

悪いクチコミは僕が調べて見た感じは見つからなかった。深刻な問題も見つからない。

そもそも、購入している人が少ないのかも知れない。それなら納得だ。実際僕自身知らなかったから。

 

ここまで、電気シェーバーの話になってしまった。僕の失敗談について話を戻そう。

実は家電量販店で色々聞かれていた時に起こった。

店員さんが何年電気シェーバーを使っているのか?について質問してきた。

それを聞き間違えて、別の話をしてしまい、父に指摘される。慌てて口に手をやって質問に答えた。

正直めちゃくちゃ恥ずかしかった。しかし、意外にもすぐに対応できたことは自分としては驚きだった。以前の僕なら、頭が真っ白になっていたはず。だからすぐに質問に答えられなかった。

そう考えると、成長していると感じている。ただ、動揺はしばらく引きずっていたけどね。

とにかく自分の成長を見れてよかったと感じている。人にとってはそんなことかも知れないけど、僕にとっては嬉しいことだった。

電気シェーバーのことはしばらく考えることにする。

今回はここまで!また別の記事でお会いしましょう!

 

アウトプット

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のらねこです。

 

今回、アウトプットについて考えていきたいと思います。

 

 

アウトプットとは何か

それは自分の中にあるものを使えるものとして出すこと。使える状態にしておくことがポイントですね。

使えるのは自分でも他人でも同じ。商品を自分の中から出す。そのために情報がいるわけです。作品といってもいい。自分の思考を文章にしてもいいです。話すこともいいでしょう。ただし書くことと違い、形には残らないですよね。あっ、でも録音すればありです。

インプットする目的

インプットする情報、はアウトプットするものによって変えるのがいいでしょう。そうでないとインプットするばかりで、何も出せないんじゃ自分の影響力がつかない。生きている以上は何かしら影響を与えたいと思っている方もいるのではないでしょうか。僕もその1人です。ただ、アウトプットをするうえで注意しておきたいことがある。今の時代、何かを見てそのまま話すや書くをして終わりにしないで欲しいのです。なぜなら、それだけで終わると、自分の作品というより他人の作品になってしまう。だからそこに自分の知識など色をつけるといいですね。

 アウトプット前提でのインプット

 

僕は何度も失敗した。タイトルの通りにしていたつもりになっていたのだ。アウトプットをすることをどこかで怠っていた。例えば、ちゃんと調べてからアウトプットしようと思ってしまう。そうすることで、アウトプットを避けていた。だから、うまくいかないんだろう。

アウトプット前提をまずは意識する。これってYoutubeのコメントでもいけるかも。

あるいはTwitterでツイートするのも大丈夫でしょう。

あまりハードル上げるときつい。アウトプットの基準も下げればいいですよ。

アウトプットのさらに先

アウトプットに慣れてきたら、それにあることを付け加えてもらいたい。

どうすれば相手を盛り上げることができるのか?

例えば、夫婦関係ならば、夫へあるいは妻へ良い関係を意識しながら、アウトプットする。

また、親しい人にこういう話があるよという気持ちでアウトプットするのもよし。

良い関係を築くことを前提に考えることです。

そうしたアウトプットは、新しい関係を生み出し、さらに好循環を生み出します。

 

今回はここまでにします。

疑問や感想などありましたらお願いします。

ありがとうございました。

 

airpods3の噂があるなかでノイズキャンセリング機能について調べてみた

のらねこです。

今回、Air pods3が3月のイベントで発表されるんじゃないかと言われています。

しかし今回のairpods3は、ノイズキャンセリング機能がつかないそうです。

そこで、ノイズキャンセリング機能について書きたいと思います。

「今ノイズキャンセリング機能がついてるのに興味があるんだよね」と思っている人にも、見てほしいですね。

これからの話を聞くと、ますます気になると思います。

ノイズキャンセリングってなに?

ノイズキャンセリングとは、周りの音が聞こえづらくなることだよ。

ノイズキャンセリングを使うことによって、周囲の音を打ち消してくれるんだ。

だから、騒しい場所で音楽を聞く。また、集中したい時使うことがおすすめされる。

気になること

僕は、ノイズキャンセルリング機能が欲しいです。 理由としては、使った事がないから。 また、うるさい音が苦手だから。

使ったことがないと書きましたが、やはり音がなくなる体験は非常に気になります。

また、うるさい環境でもどこまで使えるのか。

試してみたい。

最後に

騒がしい環境や集中したい時に重宝すると思う。

ただ、ノイズキャンセリング機能のものは、価格が高いものが多いです。

しかし、一度でいいから体験してみたい。

今回は、ここまで。

ありがとうございました。

What is an upaya? My way of thinking that can be seen from there

Hi, this is Noraneko.

 

I will write what I learned by looking at a certain tweet recently.

It may be wrong from time to time, so please take a look for reference.

First of all, from the meaning of upaya.

 

What is an upaya?

I had a convenient image of upaya. But this tweet told me that it was a misunderstanding.

When I saw the tweet, I interpreted the upaya as "taking measures that match the desires of the other party."

It is a prerequisite to understand the other person in order to meet the other person's wishes. For example, it's honestly annoying to someone who cooks more and more when the other person is full.

Also, people who just say good luck. It's possible that these people aren't looking at the other person either.

Because if you're thinking about the other person, it's not just words.

I think the action is also a set. Therefore, know the desire of the other party. You need an opportunity to get to know the other person deeply.

What is the original meaning of upaya?

 

The original meaning of upaya is to get closer to the truth. Truth is a law. It's a rule.

 

In addition, the upaya has another meaning, and it should be adjusted to the other party's kikon. Kikon is the ability to believe and practice Buddhism. In addition, try separating the kikons one character at a time. The meaning of the machine is work. The meaning of the root is the underlying nature and personality of a person. There is such a meaning.

I thought so. The underlying nature of humans seems to be difficult. In other words, it feels like a natural vessel? No, don't you know more?

 

For me, who thought that the upaya was a lie, this was a continuous learning process.

Upaya has a better meaning, isn't it? Present the means according to the other party's roots and desires.

This is necessary in education, isn't it?

I think that is exactly what school education is today. It's kind of like a one-way street. I will hand over the teaching materials unilaterally because it is okay to do this much. Homework is like that.

To be honest, it's a delicate point whether I was able to do it myself. However, being able to draw out my thoughts in this way is a harvest.

Happy with the other person Happy with myself

It's very difficult, but I think it's quite important to find a way to make both the other person and yourself happy.

However, when it comes to actual battles, it's hard to think of it. You can't think of it without training on a regular basis.

For example, people who like comedy and people who don't like it.

It may be good to think about what is the way to convince both. You can see it when you actually think about it, but it doesn't come out suddenly, right? I myself am still training, so I can't come out.

 

It may be quite aggressive, but I think people who like comedy will need a sense of solidarity and empathy. If you don't like comedy, is it the opposite? Someone who doesn't want to sympathize? Someone who prefers to be alone rather than a sense of solidarity. Someone who loves loneliness.

 

Yup. I wonder what? Is it like making a comedy with video distribution on the Internet? Are you already doing it? If this is the case, people who don't like comedy may also like it. It feels uncoordinated, but I can only think of this much now.

 

I'm a little tired, so I'll end here.

 

If you like, please give us your impressions.

I am very pleased!

 

Thank you very much.

Why do humans refuse to accept contradictions?

Recently I found the term cognitive dissonance.

By taking contradictory words and deeds, it makes me feel uncomfortable.

For example, when you are very dented! Even if I think I'll do it, there will be a contradiction in my feelings.

 

But I thought. Why does the contradiction feel so unpleasant?

I've always wondered. I would like to think about this question in various ways.

 

First of all, I want to define what contradiction is.

Contradiction cannot be united. Let's define it like this. People who can't swallow contradictions are painful nowadays. It is necessary to recognize the contradiction as one without hating it.

See things abstractly. Isn't the person who dislikes contradiction logical, good or bad?

I always think that the world is too logical. However, the logic that is widespread in the world seems to be quite poor. I'm not thinking. On top of that, I try to give an answer immediately.

It's like there's no logic. Logic may divide the world.

I feel like there are problems in Japan, such as the attitude of jumping without thinking and not doubting.

There is a part that I personally feel that I can doubt a little more.

What is written here is what I thought. It's a tremendous subjective opinion.

No objective evidence is given anywhere.

However, I just came up with the idea that accepting contradictions actually leads to peace.

Logic is important, but on the other hand, you also want an abstract understanding.

Peace is to be one. I think humans were originally a group. I don't think it was divided by country or culture.

Because there is a division, it becomes a conflict. Conflicts may be avoided if we approach each other with understanding.

I'm sorry that my opinion is subjective, but what I'm writing is what I actually thought.

When I try to write it in this way, there are many things I can't write or understand.

There is still more.

It's the same with me that my thoughts are shallow. So let's start by thinking even a little.

More specifically, ask questions.

Doubt about all kinds of information, such as conversations with people, TV news, and online articles.

More to say, enter from denial. It seems that the Japanese tend to dislike entering from doubt or denial. I feel that is the number one problem.

The more I study, the more peaceful Japan seems to be. If you don't learn, it's the same.

You can do as much as you can, so please put your thoughts into your daily life.

From cognitive dissonance to contradiction, I wrote down what I thought.

This time, let's do this.

thank you for reading it until the very end.

なぜ人間は矛盾を受け入れることを拒むのか?

最近、僕は認知的不協和という言葉を見つけました。

矛盾した言動をとることで、なんともいえない気持ちになることです。

例えばとてもへこんでいるときによし!やるぞと思っても、気持ちの矛盾が起こるわけです。

 

しかし、僕は思いました。どうして、矛盾したことはこうも不快に感じるのだろう?

以前から疑問に思っていたことです。この疑問をいろいろ考えてみたいと思う。

 

まず矛盾とはなんぞやを僕なりに定義したい。

矛盾とは一つになれないものである。こう定義しよう。矛盾を飲み込めることができずにいる人間は、今の時代辛いと思う。矛盾を毛嫌いせずに一つのものとして認識する必要がある。

抽象的に物事を見ることだ。矛盾を嫌う人は良くも悪くも論理的なのではないか?

今の世の中が論理的すぎると僕は常々思っているところだ。しかし、世間に広がっている論理的は随分とお粗末に見える。考えていない。その上で、答えをすぐに出そうとする。

これでは、論理なんてあってないようなものだ。論理が世界を分断しているのかもしれない。

何も考えずに飛びつく姿勢や疑わないことなど、日本における問題点のように感じる。

もう少し疑ってもいいのではと個人的に感じる部分はある。

ここで書かれていることは、僕が考えたこと。とてつもない主観的な意見だ。

どこにも客観的な証拠は出していない。

しかし、矛盾を受け入れることが実は平和につながると今書いていて思いついたことである。

論理も大切だが、一方で抽象的な理解も欲しいだろう。

平和とは一つになることである。人間はもともと一つの集団だったと思う。国や文化で分断されていなかったと思っている。

分断があるから争いになってしまう。理解を持って歩み寄れば争いは回避できる可能性はあるだろう。

僕の意見が主観的で申し訳ないが、書いていることは僕が実際に思ったことだ。

今こうして文章にしてみると、いろいろ書けないところや理解が追いついていないことも多々ある。

まだまだだ。

思考が浅いのは僕も同じだ。だから、少しでもいいから考えることから始めよう。

もっと具体的に言うと、疑問を持つことだ。

人との会話やテレビのニュース、ネット記事などあらゆる情報に対して、疑ってみる。

もっと言うなら否定から入る。日本人は疑うことや否定から入ることを嫌う傾向があるように思える。僕はそれこそが1番の問題点に感じている。

もっと勉強すれば、日本は平和になるように思える。学ばなければそのままだ。

自分のできる範囲でいいので、考えるを日常に入れてみてほしい。

認知的不協和から矛盾と流れて、思ったことをつらつら書いていった。

今回は、これくらいにしよう。

最後まで読んでくれてありがとう。